top of page

一宮神社から八宮神社へ(Ⅰ)

日時    :  2015年1月14日(水) 晴れ

目的地  :  一宮神社、二宮神社、三宮神社、四宮神社

目的    :  生田裔神八社(えいしんはちしゃ)を巡る

アクセス:  JR三ノ宮駅から徒歩

神戸には、一宮から八宮まで生田神社を取り囲むように「港神戸守護神 厄除八社」がある。この八社は生田神社の裔神八社(えいしんはちしゃ)と呼ばれ生田神社の末社である。八社巡りの事は、今まで話には聞いていたが、まだお参りしたことはなかった。お正月なので、神社詣をしようということになった。

三宮に集合して、一番近くの「二宮神社」から。北へ10分ほどで二宮市場・二宮商店街の看板を見つけた。二宮市場は、大正12年から続いている由緒ある市場だ。入ってすぐに、太ったキツネの石造が祀ってあった。

これは、「おイネ狐」といわれ、「お祈りすると子宝に恵まれお腹を擦ると安産間違いなし」と言い伝えられているそうだ。早い時間だったからか、市場の中を歩いている人はあまり見かけなかった。
どこの市場も店の数が減り、買い物客も少なくなっているらしいので、昔来たことがある者として                             は、寂しい気がする。

二宮神社

懐かしい感じの市場を通り抜けて二宮商店街を北へ抜けきらないうちに「二宮神社」の立札が。鳥居をくぐると大きなご神木が聳えていた。「天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」・「応神天皇」を祀ってある。こじんまりとした神社ではあるが、お社は朱く美しく輝いていた。

おイネ狐

二宮神社

一宮神社(田心姫命(たごりひめのみこと)へ。

加納町交差点の北側を渡って神戸電子専門学校のキャンパスが立ち並んでいる地域を通り抜け、以前レポートに行った神戸バプテスト教会の前を通り「一宮神社」へ着いた。ずいぶん大回りしたが、神戸に住んでいても普段ほとんど通らない地域だと実感。

一宮神社手水舎

一宮神社

鳥居をくぐると手水舎。この手水舎は、元大和郡山城主、本多忠直公の御門を移築したものである等と書かれた立て札があった。古いお社で、まるみのある屋根の形が印象的だった。すぐ下に新しい鳥居が建っていた。

四宮神社(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)へ。

神戸中央教会の前を西へ歩き、神戸ムスリムモスクからトアロードに出て左に折れると「北の工房のまち」があった。休憩がてら甘い物の試食などをして次へ。相楽園を横目に県庁前を西に少し歩くと四宮神社が見えた。

お参りを済ませて、拝殿の横に「芸能の神様」でもあると書かれているのに気付いた。階段を上ったところに新しい碑が数基並んでいたのは芸能に関連のある碑のようだ。受験シーズンだからか絵馬に芸能関連の願い事が書かれてあったのもほほえましかった。

四宮神社は、人通りも多い場所にあるので、お参りに来られる人も多いようだ。そこから南に坂を下って行くと、花隈公園が見えて元町駅に着いた。

四宮神社

お昼も過ぎたので食事に行くことに。行き慣れた元町商店街で神戸ビーフの定食を注文。私たちの歳にはちょうどよい加減の量のステーキが美味しかった。

三宮神社「湍津姫命」(たきつひめのみこと)(航海の安全・交通安全・商売繁盛・知恵授け)

神戸事件発生地の碑」が建っていた。詳しい事を知らない私たちは、事件のあらましが説明されている説明版を読み、このレポートを書くにあたってもインターネットで調べた。

社殿の下に十二支が描かれた石版があった。お参りしてから自分の干支の上に立って写真を撮りお守りを買うと望みが叶うとの説明があったので早速立って写真を撮った。

三宮神社

十二支が描かれた石版

神戸事件 : 慶応4年1月11日、(1868年2月4日)、三宮神社前において備前藩(岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ銃撃戦に発展し居留地(旧居留地)予定地を見分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。明治政府初の外交問題となった。一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至る等の動きになるまで、発展したがその際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹することで一応の解決を見た。
bottom of page